PC-6001
定価は89800円。当時としても十分安価なエントリパソコンでした。
メモリは16KB。これは当時でもかなり狭く、メモリを16KB増やすROMRAMカートリッジを本体の横の拡張スロットに差すのはほぼ必須でした。価格は14,800円。97年時点で16MのSIMM、98年では64MのSIMM、2001年では256MのSIMMでもおつりがたくさん来ます。下手をすれば2枚買えるかも。このスロットにさすカートリッジとしては、他に拡張ベーシックやテニスゲームなんかがあったはず。
音源はPSG同時3声。当時としては画期的なスペック。PLAY文による楽譜ライクな入力による系統と、SOUND文によるシンセライク(これはかなり無茶な表現)な命令による系統がありました。このおかげで、スペックとしては上であるPC-8001に対して、ゲームの魅力では優位にたつことができました。
本体重量4.3kg。当時は、ほとんどのマシンは本体とキーボードは一緒になっていました。MSXと同じスタイル、といえば80年代は通じました。もう少し後では、PC CLUB(キーボード一体型9801、CPU80286)といってわかる人……も全国にひとりくらいいるかもしれません(普通はそういう人はMSXを知っています)。ノートPCからCRTをのぞいたもの、というとあらぬ誤解を招きそう。カセットテープやフロッピーは外付けです。
キーボードは伝説のキャラメルキーボード。当時はタッチタイプ自体できませんでしたが、タッチタイプにはおよそ不向きなキーでした。
CPUが何か、ということは当時は意識しませんでした。Z80(4MHz)コンパチの何かだったはず。
愛称はなんと「パピコン」。小2の私ですら「ださっ」と思っただけあり、結局定着しませんでした。まだコンピュータのことをパソコンではなく、マイコンといっていた時代の話です。
家庭用テレビに出力できる(まだビデオではなく、1chとか2chとか)のも売りの一つでしたが、私はグリーンディスプレイ(白黒ならぬ緑黒ディスプレイ)で使っていたので、このコンピュータというと緑の映像が頭に浮かびます。
どうやって遊ぶかと言えば、やはりゲームです。ですが、発売直後はそもそも「パソコンゲーム」なんていう概念からしてまだ珍しかったのです。北海道マイコンシステムズ(いまのハドソン)が箸にも棒にもかからないようなゲームをカセットテープにダビングして発売していたくらいでしょうか。
そんなわけで、色々な雑誌にのっていたゲームのプログラムをせっせと入力したものです。最初は「マイコン」という雑誌の「アーク」というゲームでした。財宝を求めて冒険する集団がいて、所々で右か左か、といった二者択一を求められ、失敗すると何人か死ぬ、という、とどのつまりは乱数ゲームです。82年4月号だったかな?
一時代をつくったのはマイコンBASICマガジン。ゲームとしてはそれほどおもしろいものではなかったけれど、PC-6001用ゲームのパイオニアとして、「万引き少年ゲーム」は多くの人の心に残っていると思います。ゲーム開始時の「セブン・イレブン・いい気分」のメロディが印象的でした。2001年現在では、このメロディ自体知らない人も多いのか……ふっ。
楽しめる、まともなゲームの走りは雑誌I/Oに掲載されたT&Eソフトのゲーム。マシン語(アセンブラ)によるリストが掲載されていました。シンプルな、マシン語モニターでもくもくと16進数を打ち込むのは、小学生にとってはなかなかつらかったです。さらに、別プログラムであるチェックサム出力プログラムが横サム計算してくれなかったので、最悪の場合デバッグはプリンタに打ち出して、蛍光ペン片手に全部見直すことになったこともあります。でも、それに見合った面白さはありました。おぼろげな記憶では、以下のとおり。すべて1982年です。
「3D〜」はグリーンディスプレイのため赤がほとんど見えず(赤と青の区別がつきません)、たまに家庭用テレビに接続したときしか遊べなかったので、印象が薄いです。
「リアルゴルフ」は当時としては面白かった。風向きがくるくる変わるのが理不尽ではあったが、それも醍醐味といえば醍醐味。クラブを選ぶ→スタンスを決める→アクション性があるショットというインターフェイスは、ファミコン用の任天堂の「ゴルフ」の基礎イメージになっているかもしれません。ホールごとにホールデータをテープからロードするのが印象的。あ、念のため明記しておくと記憶媒体は、「音楽用カセットテープ」です。事実上これしかありませんでした。
「ミサイルファントム」と「マリンシューター」はシューティング。それだけ。「マリンシューター」はゲームそのものよりも、前述の「マシン語しらみつぶし」のほうの印象が強いです。
「タワーパニック」は難しかった。壊れたビルをはじっこに少しだけ残った壁を使って登っていくのだが、これは半端じゃなく難しい。1面クリアで万歳、というレベルでした。独創性ではこれが一番。
「ピラミッド」は一番面白かったです。鍵を取って出口にいく、というゲームで、骸骨は主人公より速く動け、主人公を執拗に追ってくる。ワープポイントなどをうまく使って誘導しつつ逃げればよいのですが、その難しさが絶妙でした。唯一続編(ピラミッド2)がでたのもうなずけます。
後にT&Eソフトは「ハイドライド」をヒットさせることになりますが、それはまた別のお話。
ぱらぱらとゲームのプログラムをメインとした単行本が発売されています。
「高橋はるみのゲームライブラリー」という本のプログラムはけっこう打ち込みました。「ハッスル」というゲームは今でもよくできていると思う。いわゆるスネークゲームで、餌をとるごとに体が伸びていき、体か壁にぶつかったら終わり、というゲーム。「2」や「プログラミング教室」もあったけど、これはご愛敬。「高橋はるみ」の乙女チック文体はかなり強烈なインパクトがありました。実体は誰も知りませんが。
「PC6001活用研究」のなかでは「ジャンピングホッパー」でよく遊びました。アバウトにいえばドンキーコングの1面と同じ。障害物(樽やインベーダ)を飛び越えつつ最上段のゴールに向かいます。壁にぶつかったときの「かべに げきとつ」の表示がいい味を出していました。ほかに「オーディオパニック」(ドンキーコングもどき)「フォボス」(ギャラクシアン系シューティング)「モナコレーサー」(俯瞰型のカーレース。千点行くとスリップゾーンに入り、異常に滑りやすくなる。おそらく、運以外の抜け道はない)など。「街道レーサー」もこの本だったかな。
BASICコンパイラを前提としたゲームプログラム集の「ペーパーウェア6000」。「ジャンプスキー」「オーディオパニック」などの楽しめたゲームが掲載されていました。要はラリーXな「サザンクロス」も良かったです。たぶんこの本。「ジャンプスキー」は横スクロール型アクション。主人公はスキーヤーなのに、何故か敵にパックマンのモンスターがいたり。「オーディオパニック」は後にPIO創刊号に「スパイパニック」が登場するまでは「ドンキーコングもどき」として楽しむことができました。
他にプログラムリストを打ち込んだというと、「パックマン」や「インベーダー」の掲載されたI/Oの別冊「マイコンゲームの本」。5まで出ました。芸夢狂人氏のプログラムも掲載されていたと思います。作者のひとりとして「おぎくぼマイコンクラブ」を覚えています。ゲーム自体はどうでもよかったのですが(失礼)
プログラムの入ったソノシートを付録につけた雑誌「PIO」がありました。なにより創刊号の「スパイパニック」。優秀なドンキーコングのコピーでした。打ち込んだ中では「いじめっこゲーム」のシュールさが印象的。泥団子を顔にぶつけ合って、泣かせた方が勝ち、というものでした。耳が一番ダメージが大きいのです。自分が常に上を向くよう、迷路がぐるりと回転する処理で皆の度肝を抜いた「ちゃこのファイヤーショック」は未入力。一見ペンゴ風な、1〜9のブロックをなんとかするゲームも打ち込みました。
雑誌からになりますが、昔のアスキーで、「お笑いプログラムコンテスト」が行われたことがあります。そのときの最優秀作、「針」と、佳作「アボロ」には笑いました。こういうお笑いを説明してもしょうがないんだけど…だれかGIFアニメで作ります? 「内容」を知りたい人のためにHTMLによる「針」のエッセンスの再現をしました。つっても、知らない人にはかえって意味不明。
アボロは説明してしまいます。発射台にあるロケット。エンジンの音。このシチュエーションからのギャグ4発。おとなしいのは発射台の方が飛んでいく。とんでもないのは絶妙の効果音と共にロケットが落ちてしまう。うーん、やっぱテキストじゃつまんねえや。
「PC6001NOTE」なんて本もありましたね。スタートレッククローンがメインでしたが、あまり遊んでおりません。BASIC入門ですが、すがやみつるの「こんにちはマイコン」はお約束どおり読んでいました。
市販ゲームと呼ぶべきかどうか微妙な商品ですが、パロディー版アスキー(年刊Ah!SKI)に掲載された南青山アドベンチャーのパッケージを買いました。全機種分収録された贅沢なテープ。この南青山アドベンチャー、とりあえず行けるところのマップを作って挫折しました。忍者を何とかできるのか、こたつか井戸からどこかに行けるのか、しんばり棒をどうにかできるのか、是非答えが知りたい……1997年当時はそんな状況でしたが、Webにアップしていただいたマップとヒントを頼りに、結局エミュレータで解くことが出来ました。嬉しい。1999年のことでした。(2000.1)
マシンを買った当時はろくな市販ゲームがありませんでした。北海道マイコンソフト(ハドソン)が山のようにソフトを発売し、雑誌の白黒ページで通信販売をしていました。ええ、買いましたとも。
「カーレース」はBASICマガジン以下でした。
「平安京エイリアン」に至っては1歩歩くのに数秒かかる始末で、詐欺としか言いようのないできでした。
「ハングマン」はゲームプログラミングの基本となる題材だけあって、まだ遊べたけれど、それだけでした。
「ギャラクシアン」はそのなかではちゃんとらしかったです。と、これは電波新聞社製品ですね。
どうしょもないゲームなんだけど、「ヤマト」は妙な味がありました。画面下段中央にいるヤマト。エネルギーがたまるまで魚雷などの攻撃に耐えて、120%にたまったら波動砲コマンドで一気にけりが付く。当時意味が分からなかったんだよなあ。
初めてまともに楽んだ市販ソフトは「AX-6」 だったと思います。アスキーの出していたAXシリーズの中の6本目です。各2800円(最後のひとつかふたつは3800円)のこのシリーズ、うちは6から10(最後)まで買いました。1から5についてもいろいろな方法で遊んだ記憶があります。
AX-1 アラビアンラプソディ、ハイスピードバリケード、ブロックくずし、サイモン
アラビアンラプソディはパックマンタイプの、ひたすら敵から逃げるゲーム。ただし、パックマンと違って壁はない。このゲームで特殊なのは移動手段。床に数字がかいてあって、その数字を押すことで移動する。これのパロディで、床に書いてあるのが英文字だったりひらがなだったりするパージョンがあったが、タッチタイプができる今考えると、そんなに無茶じゃないな。「すべてのキャラクタ」とか言い出さなければ。("−"と"ー"を区別しなければいけないとか)
ハイスピードバリケードはいわゆるスネークゲームのバリエーション。
ブロック崩しはそのまんま。ですが、これが唯一遊べるゲームでした。
サイモンというのは、むかしおもちゃのゲームとしてあった記憶ゲームの移植。十字上に光るスイッチが4つあって、光った順をおぼえてそのとおりにスイッチをおす、というもの。
AX-2 スティールエイリアン、デュアルエイリアン、宇宙船ノストロモ、イン・ザ・ウッズ
AX-3 スロットポーカー、インターファイト、マイクロターン、コズミックレボ
これらはよく知りません。マイクロターンは後にマイクロオセロに名称変更したと思います。
AX-4 ブラックホール、アメリカンフットボール、カーレース、シャット・ザ・ボックス
ここらへんからはっきり遊んだ記憶があります。アメリカンフットボールはグラフィックキャラクタでアメリカンフットボールをやってしまおう、という凶悪なゲームですが、雰囲気はよく出ていました。といってもできるアクションはランかパスを選ぶこと、ボールを持っている人を動かすだけなんですけれど。ま、複雑なジャンケンでしたね。ゲームレベルをあげると拷問でした。
シャット・ザ・ボックスは要するにスーパーダイスQ(といってもわかんないか)。1から9までのパネルがあって、それを全部ひっくり返したら勝ち、というゲーム。
さいころを2つふって、1枚か2枚のパネルの合計がさいころの目の合計になるようなパネルをひっくり返せる。たとえば、8が出たら1と7,2と6,3と5,8、のいずれかのパネルをひっくり返すことになる。一度ひっくり返したパネルの数字は2度と使えない。これをパネルがひっくり返せなくなるまで繰り返す。
スーパーダイスQはテレビ番組。クイズか何かで勝ち抜けると上記のゲームにトライでき、成績に応じて賞金がもらえました。スーパーダイスQの場合は、ぞろ目を出すたびに、「使えない出目がでたらパスできる権利」が与えられました。
ま、ルールが絶妙で、画面デザインもよかったです。
AX-5 オリオン、クエスト
ベストオブPC6001ゲームに推す人も多いゲームです。オリオンは宇宙空間での3Dシューティング。宇宙空間を漂っているという感じがきちんと出てましたね。クエストは3D迷路の中をさまよい、目では見えない敵をレーダーを頼りに倒す、というゲーム。こちらは怖かったです。はい。
AX-6 パワードナイト、ヘッドオン、マスターマインド、スペースエネミー
「えーくすしっくす ばい あすきー(AX-6 by ASCII)」としゃべるデモはインパクトがありました。
パワードナイトはいわゆるガンシューティングと同じシステム。「ひゅうひゅうひゅうひゅうひゅう」という音楽が印象的。たしか「だるまさんがころんだ」的に、止まったときしか倒せないんじゃなかったかな。2000年、雑誌「CONTINUE」のガンダムゲーム特集に画面写真が掲載されていたのには度肝をぬかれました。
ヘッドオンはアーケードゲームの移植。6レーンあるトラック上のコースを車線変更しつつ(車線変更は4か所でしかできない)ぐるぐるまわり、全部の道を通る、ドットイートゲーム。敵車は逆向きにぐるぐる回る。完全なパターンプレイを作るのが勝利への道。
マスターマインドは同名の古典ゲームの再現。
スペースエネミーはね、おぼえてないです。なんだろ。
AX-7 ポリス&ギャング、ザ・アストロディアン、ギャラクシーファイト、ゴッドハリケーン
どれもよくできていました。ベストオブAXだと思っています。
ポリス&ギャングは名作。パトカーをよけながら目標物(面ごとに変わる)を一定数取るゲーム。物寂しさを感じる音楽(天国と地獄)が印象的。最終面でループするのだが、最終面の目標物が没って意味の、まるボマーク。まるボはアスキー用語。最終ステージはボーナスステージで、パトカーが出ないのに、撮るべきターゲットの数が多すぎてタイムがぎりぎりになってしまう。
ギャラクシーファイトは慣性のある2次元空間での1体1のドッグファイト。開始直後左(2Pは右)にいって画面の端を反対側に飛んでショット、の奇襲が最強か。お互いがこれをやって正面からぶつかり合う、「ひゅうーっ ぼっ」という音の響きが今でも頭の中にある。
ザ・アストロディアンは横向きシューティングで、敵キャラの種類が豊富で、パターンが40面ある、というのが売りのゲームだったかな。グリーンディスプレイの色制約(赤と青は同じに見える)にひっかかってあんまり遊べませんでしたが。
ゴッドハリケーンはアーケードゲームの「ギャラクシーファイト」を意識したゲームです。(手動)誘導ミサイルを操作して嫌いをよけつつ敵艦を倒していくゲーム。ロケット噴射とブレーキによって自分でスピードを調整できる。機雷をよけるのはゆっくりのほうが楽だが、燃料を過剰に消費してしまうし、敵艦を倒すときにはある程度のスピードが必要。そのジレンマが魅力。
AX-8 ギャラクシーミッション
ギャラクシーミッションは宇宙空間をワープで旅行するアクションゲーム。雰囲気がとてもよかったです。小惑星やブラックホールなどがそれぞれ重力を持っていて、機体の制御が大変でした。次の面に行くには、ワープポイントに一定時間とどまればいいのだが、それが難しい。だんだん高くなって行く音楽が緊張感をあおるあおる。フィーバークイーン2のリーチみたいに(パチンコです)。強制ワープのストップキー連打でも、それなりに先に行けてしまうのはご愛敬。
AX-9 3Dフライトシミュレータ、バウンダーロボ、プルースカイ
フライトシミュレータはジョイスティックが1つ以上必要、という潔い操作系。ジョイスティックが操縦桿で、カーソルがラダー。フライトシミュレータは私はほとんどやってません(後にX-WING、ストライクコマッダー、エアーコンバットも挫折しました)。
バウンダーロボを一番遊んだと思うんだけど、どんなゲームだったかなあ。
ブルースカイは「地味」という印象しか覚えてません。
AX-10 アウトロー、ポップハンド、りすにんぐ、セブンバイブル
アウトローは早撃ちガンマン系のゲーム。5つの枠にお尋ね者が出てきて、早く打たないと打たれる。ただし、お尋ね者でない人は打ってはいけない。ゲームバランスがとてもよかった。
ポップハンドはビリヤードのテーブルみたいな四角い枠の外周からマジックハンドを伸ばして、ごそっと何かをつかみ取るゲーム。それしかわからない。
セブンバイブルは7つの聖書を集めるゲーム、といのと、広告の画面から「ロックンロープ(アーケードゲーム)」をきたいしてがっかりした、という記憶が。
「りすにんぐ」は7本くらいぶら下がったロープを飛び歩いてアイテムを集めるゲームだったと思う。
「走れ!TINY」(83年の2月ごろ)という漫画つきのBASICのゲーム集がありました。シスムソフトの発売で、漫画は「クッキングパパ」のうえやまとち。通常時は3頭身、コンピュータに向かうと6等身のTINY君が主人公。ライバルの近藤マシン語臣(こんどうましんごおみ)、クリームソフトのカバ社長など、周りのキャラクターも強烈。
「こんなゲームつくったんだ」とTINY君。それを見たカバ社長に見込まれ、システムソフトに。そこで近藤マシン語臣と出会うが、迷路対決でははっきりと負けてしまう。ふたりはゲームプログラムコンテストに招待される。あとは途中で三頭身モードになってしまうハプニングなどもあるが、無事にTINY君が優勝。優勝商品のPCを使ってアセンブラによるゲームを1本作成、大団円。
※迷路対決でカバ社長が「臣くんのほうが若干おもしろかったかな……」というのですが、私、ここで「若干」という単語の意味を知りました。
漫画上で創作ゲームによるトーナメント戦を行うのだが、収録ゲームに優劣をつけてしまうのはすごいことかも。肝心のゲームは、あまりいいものは無かった、というのが本音。唯一素晴らしい出来なのが「戦車」。橋の上で向かい合った戦車が、お互いに玉が1発しかなかった。お互い、出来るだけ近づいて打とうとしている。と、そんな状況。弾を打った後、距離に応じてねらいからずれていくのがなんともいえない。
あと覚えているもの。トンネル迷路(道が見えない2D迷路)、そのまんまの3D迷路、反射板を目の前にたてることで向きを変えるザ・リフレクション、見栄えだけはする星空のランデブー、とりあえずアセンブラしてみただけのパックマンもどきのマシン号。あと、何故かタイトルをおぼえていない最初のゲーム。いわゆるスネークゲームで、パックマンタイプの限られた空間がフィールド。体が短くなるフィーチャーなどいっさいないのでいずれ死ぬしかない暗いゲーム。2巻の予告を見た気がするが、結局出なかったと思われる。
「タイニーゼビウス」(電波新聞社)はそれなりにゼビウスの雰囲気が出ていて感心。さいしょのトーロイドに感激。バキュラにザッパーが当たる音が良かった。何故か背景として出現するパックマンの右下にプラスターを打つとソルが出てきた。
T&Eソフトの出していたピンボール「トリックボーイ」は10万点をこえるとほとんどのターゲットが真っ暗になるというイベントがあって、なかなか面白かった。音も良かったし、テープでさえなければもっと遊んだであろうゲーム。
「ハイスピード麻雀」はROM&RAMカートリッジに差し込むIC状のBASICコンパイラが必要。テンポのいいマージャンゲーム。いわゆるジャンピュータ。スコアがマイナスになるか、タイムが0になるかでゲームオーバーになる。上がると増えるとはいえ、常にタイムが減り続けるので、けっこうあせってやるゲームであった。
バグも印象的。上がり判定ルーチンがタコで、上がっていてもチョンボになったりする。さらにさらに、上がっていなくてもあがれたりするのだが、配牌がなんであろうとツモ(ロン)を繰り返すと、数回に一度は上がれてしまい、点数こそプラスにならないものの、タイムは増えていってしまう。いや、でも、楽しいゲームだったんですけどね。
ラジカセがあればテープソフトのコピーなんて簡単だったんですよねえ。で、そういうことをして手に入れたソフトたちのお話。まあ、友達からの入手だけで、レンタルには手を出してはいないんだけど。いや、近くにあったら絶対手を出していたんですけど。
EGGY(ボーステック)は2足でのみのようにはねるロボット(たぶんこれがEGGY)を操って、マップ上の敵を破壊するゲーム。人を殺してはいけないのだが、人がはじけ飛ぶグラフィックが面白くて人をぱりぱりとばしていた。浮遊感が気持ちいいゲームでした。
EFORMN(システムソフト)はやっぱりTINYAN氏の作。当時でも「いまさら無印6001」なボスコニアンに近いシューティング。というよりそのまんまらしい。ボスコニアンの方を知らないもので。面白かった。遊んだことはないけどタイトルやBGMが強烈な「野豚の異常な食欲」もシステムソフトでした。
なんといっても「オホーツクに消ゆ」(エニックス)。ポートピア連続殺人事件に次ぐ堀井祐二のつくったアドベンチャー。ニポポ人形が印象的。むらきすけ、って、もう書いちゃってもいいよねえ、木村さん。ログインで予告されていた、第3弾の「白夜に消えた目撃者」はどうなったんだろう。
エニックスのパソコンゲームは基本的に面白い物が多かったなあ。ラブマッチ・テニスなんかもバランスが良かったし。雷太のグローイングアップもエニックスだったかな。これはどうでもいいアクション。
10面ごとにテープからデータを読み込むロードランナー。画面サイズがAPPLE版に準拠しており、88より横に2マス多い。ただし、死んだ番兵の生まれる位置が最上段、という明確なミスがあるため、かえって難問データの移植は大変だった。
基本的にはマーク2用だったが、テープのB面にPC-6001用の入っていたドアドアmk2。グラフィカルなアドベンチャーのはしりのミステリーハウス。ダイヤモンドを手に入れるのが目的。アドベンチャーとしては、続・黄金の墓、なんかも遊びました。