夫婦茶碗。夫婦茶碗……なるほど、めおと「ぢ」ゃわん。ね。町田康の本なのですが、これは……身につまされるというかなんというか。かく様にいいかげんになりたいと思いつついい加減になれないのがもどかしい、でもこうなるのもなァ。妄想大爆発な展開は好きなのですが、どうも身につまされて身につまされて。とくにゾルバのくだりはなんともはや。困ったものです。
とにかく無駄にときを過ごす。そんな夢のような生活ももう終わりが近づいている。それはまあわかっている。わかっているが今の生活は心地よい。起きる。だらだらする。読む。飲む。寝る。どっぷりと今の生活につかってしまうと、ほかにはなにも考えられない。飯のことだって忘れてしまう。もともと食べることに執着が薄いことはわかっていたが、ここまで薄いとは思わなかった。香澄が飯にしてくれるのを忘れていたら、きっと食べないままだろう。実際、気づいたときには2日なにも食べていなかったこともある。香澄はそのあいだ何をしていたのだろう――全くおぼえていない。いずれにしても、わたしがひたすらぼうっとして過ごしていたことは間違いない。
そんなふうにだらだらと過ごしているわけだが、香澄はそういうわけには行かないようだ。目の前にお金がない。それはわかっている。だから働け。うむうむ、しごくもっともだ。それについてはとくに反論はない。だがしかしね。そういうキモチがぐっとこうひとつ、もりあがらないというか、ほら、学校の宿題もそんな感じじゃない。はじめてしまえばすぐなんだけど、なかなか始める気にならない、あの感じ。ほら。しばらくほっといてくれれば始めるからさ、ね。お願いだから数日、ほんの数日そっとしておいてくれれば、ね。ほら。
――その数日が何ヶ月になったとお思いですか。
あ、いや、それはだね、いろいろあるじゃないですか。このはかなき人生の中には。あとは野となれ山となれ、ぱっと散れ、ていうじゃないですか。ねえ。ほら、見たまえこの風景を。この風景だって、いましか見られない貴重なものですよ。うつくしいじゃないですか。
――花も飾れないベランダから、黒ずんだ空をみて何がたのしいんですか。全然詩的でもなんでもありません。
詩的。ほう、詩的。いいこというじゃないですか。この生活に何がたりないって、詩的な感動ですよ。ひとはパンのみにて生きるにあらず、ってね。ほら、そういうじゃないですか。ああああ、でも、パンがなければ生きられないなって野暮なつっこみはなしにしてくださいよ香澄さん。ねえ。詩的私的素敵。ああ、これ、本体でも使っていた表現かもしれない。やっぱりあのタイトルは1000万円の価値がありそうだね。ああ、1000万円。これって、タイトルの拾得にならないかな。作者にとどけたら1割の謝礼。なんつって。そうだったら楽しいよね、ほら。そこらじゅうにおちいてるよ、きっと。こんな感じの落とし物。職名はなんていうかな、競馬場では地見屋(ぢみや)だな、ここはひとつ、字見屋(じみや)なんてどうだろう、ほら。ひびきも同じだし。いいよねえ。
――そりゃようござんしたね。本当にお金になるんでしたら最高でしょうよ。あたくしとしては本当に目の前のお金が大事なんですけれど。
ああああ、なんて無粋な。そのお話はなしってさっきお願いしたじゃないですか。ほらねえ。ここはひとつ「じゃばうぉっしゃあああ」に負けないフレーズをみつけるまで、ひとつ。あれ、なんかちがうような気もするけど、まいいか。
――探してどこに届けるんでしょう。警察にでも届けるんですか。
届け先。うんうん。さすが香澄だ。どこに届けるか。それは良い質問だ。なかなかの難問だ。うむうむ。誰に届けると謝礼がもらえるか。警察が対応してくれない以上、作者にとどけるのか。でも、作者の連絡先はわからないなあ。やはり出版社か。でも、講談社文庫のタイトルの落とし物が、講談社のフライデーに載っている場合、これは落とし物になるのかな。
ま考えるよりかけずり回った方が早いってんで、とりあえず探してみましたんですがね。えっと、あの、なでぃあって言うんですか、あれの落とし物で強烈なものがでてきたんですよ。これなんですがね、全く笑っちゃいましたよ。あの、黒ネズミでものすごくうるさいところがこれですからね。2度目で味を占めたんでしょうが、訴えられても裁判でたたきつぶすっていうのが目に見えるようでね。こればっかりは届けてもごめんなさいされちゃいそうだよなあ。あそこにはかないませんって。そもそも、これっていくらなんだろう? まてまて、そもそも「○○円のタイトル」ってえ表現自体、どこかで見かけた借り物だよなあ。実際には誰が格付けするんだろ。拾って作者にとどけて、「あ、それは10円のタイトルだからどうでもいいや」なんて言われたら、反論できないじゃないか。あァっ、もういいや、やめだやめだ。
寝よう。