雑文速報に公開した直後にサーバが落ちた。2回目。今回はハードウェアごとお亡くなりになったらしく、sshでログインしてみたら、その時点でhomeディレクトリはきれいさっぱり空になっていた。どさくさに紛れてipアドレスも変わっていたので、環境によっては数日間ご無沙汰だったかも。
ちょうどマシンのリプレースが完了して、データのリカバリ中だったので、復旧の様子をリアルタイムにのぞいた。復旧時点ではpsにパーミッションがなかったので正確なところは分からないが、まず真っ先にデーモンを動かしてしまって、それからデータの復旧を始めている。
/mntにリカバリデータの入ったHDDをマウントディスクをそれぞれつないで、それを/homeに書き戻している。リカバリの進み方を考えると、とりあえず丸ごとコピー、じゃなくって目視で確認しながらちくちくと作業をしているように見える。
復旧手順が完全にアルファベット順ではないのが面白い。文句を言ってきた客優先、と言うことはありそうだ。企業みたいに急ぐ理由も希薄だし、英語を書きたくない私はおとなしく待つ。
過去には別サイトを公開して、宣伝した瞬間2日間ダウン、という目にあったこともある。そういう体験にもあり、サーバが落ちることについてはある種の諦念を抱くようになっている。
と言うわけで、何かした、あるいはしようとした瞬間に気分をそがれるような体験をする、と言うことはままある。これが今回の話題だ。
締め切りがある仕事を抱えている。試験を受ける。そんなときにいつから作業あるいは勉強にとりかかるか。
人によっては期限にゆうゆうと間に合うように着々と作業をするだろう。私は睡眠時間を削る必要がある程度にせっぱ詰まってからとりかかることが多い。知人の中には、睡眠時間がすべて無くなるくらいになってから作業を始める馬鹿者もいる。が、着々と作業をする人間にとっては、私も充分に馬鹿であろう。はい。馬鹿です。
でまたそういう作業があることを知っている周りの人間というのは、それを口にするのだ。何も考えずに口にすることもあるし、本気で心配して、あるいは追求するつもりで言うこともある。
「かなちゃん、勉強しなくて良いの?」
「君、明後日の会議の資料は大丈夫かね」
「今やろうと思っていたのに」「今始めたところなんだが」という言葉を口にするかどうかは別として、いずれにせよ言われると気分をそがれる。
下手をすると、本当にその気になっていたか」は無視される。自動的に「今やろうと思っていた」と自分の気分を修正してしまうのだ。こういう思考パターンは確かに褒められたものではないが、それほど珍しいものでもないだろう。
上に挙げた例よりもさらにこういう言葉に萎えてしまうケースがある。WEBサイトの更新とか、単純に外出するとか、期限がゆるい用件だ。
特に親子における「勉強する」「片づける」「寝る」は対立の三大基本構造として有名である。これは試験に出るのでメモしておく価値がある。「雑文書かないんですか」は私は言われたことはないが、有効であるとは考えにくい。何か書かせたいなら、「面白かったです」のほうが良いだろう。
いざ行動に取りかかった場合にも、事故によって同じような気分になることもある。
往々にしてそういうことはある。そしてこれは為すすべがない。キアイで乗り切るか、穏やかに受け入れるか、さっさとあきらめるか、それはすべてあなたにゆだねられている。だから「人間万事塞翁が馬」とか「人生楽ありゃ苦もあるさ」とかいう言葉ができる。
トラブルにあうと「ネタだネタだ」と喜び文章を書き始める。そういうひともいる。