酒は好きだ。愛していると言っても良い。学生の頃から一人で酒場に行くほど好きだし、家でも必ずビールを飲む。残念なことにアルコールの方は私を愛してくれないらしく、ビールを2杯も飲めばアセトアルデヒドが体の中で反乱を起こす。仕方ないのでちびりちびりと酒を飲みながら端末に向かい、やくたいもない文章を書く。
一人酒を飲むときに何をするか。私は端末の前であれこれ考えながら飲む。いっこうに文章は進まないのだが、この時間が大好きだ。昔の人は文章を考えている代わりに、歌を推敲していた。酒と歌といえばこの人。大伴旅人である。
この人、酒が大好きで、表題にあげた歌まで作ってしまった。万葉集に採取され、今日でも読むことができる。万葉集の歌は野趣あふるる、というがなにもここまで、という世界だ。
なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ
(なまじ中途半端な人間で居るくらいなら酒樽にでもなってどっぷりと酒につかりたかった)
……これである。この歌は大好きだ。このおっちゃんの主張は首尾一貫している。
あな醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿にかも似む
(かしこぶって飲まないやろうが猿みたいにきーきーいってやがる)
……どうしてくれよう。他の歌もすごい。一部の趣旨を紹介しておこう。
「ぐだぐだ言ってるんなら、まあ飲め」
「仏道がなんだ、虫になろうが俺は飲むぞ」
「偉そうに愚痴たれるてないで、飲んだくれて泣いてしまえ」
「酒はすばらしい。とにかくすぱらしい」
この迷うことない酒賛美。このおっちゃんは60代の一時期を太宰府で過ごす。しかもそこで妻を亡くしてしまう。そうして寂しく夜を過ごす。歌は独り身の寂しさだったり酒賛美だったり。飲んだくれオヤジだったのだろうとは思うけれど、そんなのも、ちょっと悪くない。
飲んだくれオヤジに思いを馳せて深酒した翌日。頭の中で100人の古舘伊知郎が実況しているような気分で思う。
先達にはあらまほしきことなり。