第5回 いまさら大学受験のお話(97.11.14)

 何でこういうテーマでものを書いてみようかと思ったかというと、この間清水義範の「学問ノススメ」を読み返したからですね。安直に。まあ、4年前というそんなに昔でないことなのに、記憶はすっかりうすくなりまして、まあこんな時期に書いてみるのもいいでしょう。一般論として、東大生、というのはそれだけでネタになりますし。

 しっかし書いてみたら、「本人にその気がない自慢話」のような気もしてきた。とりあえずアップします。どう思ったか、是非感想のほしいところです。そーゆー感想が先にメールできたら、構成やり直すかな。

 僕は、あんまりストイックな受験生活を送ってないので、実は毎日8時間勉強とか、徹夜して勉強とか、そーゆー体験はちょっと想像の範疇にありません。とりあえずどーゆー生活をしていたのかを思い出してみよう。

 高校生の時は、増進会、通称Z会の会員でした。いわゆる通信添削、という奴ですね。2年生まではおおむねまじめに提出していました。はい。あと3年の後半もまじめにやっていたと思います。あとは、3年の春から春期講習、夏期講習、冬期講習と駿台(すんだい)にいきましたねえ。あ、予備校名とかは仮名のほうがわざとらしくて面白いような気もしますが、まあ隠さなくてもいいでしょう。

 という生活で、どれぐらいが勉強時間になるのか? というと、Z会の問題を解くのがだいたい月に20時間ぐらい。ただし、数学の問題なんかはいつも考えているようなもの。講習は行っている時間だけ。あと、ときどきZ会や模試の解答・解説を読む。こんなもんです。平均すると、日に1時間、はいくか。2時間、は行きませんな。

 そう、こんなもんです。

 あとはなにやってたか、というとヴィオラ弾いてたり、アマチュア無線やったり、まあ3年の12月までは部活やっとリました。ゲームもやってましたね。私には「試験前にゲームの封印」といった概念はないです。この時期だと、たぶん98の「遙かなるオーガスタ」。

 実践的な話で言うと、模試の解説を読む、というのはめちゃめちゃ有効です。自分の解いた問題の解説というのは、何であれ意味があります。特に、模試の解説というのは、わけわからん解答用紙を何百枚も採点してその問題について悟ってしまった人が書くだけあって、非常に面白い。(大抵の場合。担当の質が悪すぎるとその限りではない)(って、ここでこういう事書いて、面白いのかどうかは知らない。だからここのページは補完ページという名称なのです ※注 公開当時はそういうタイトルのページでした。

 勝算はどれくらいだったかというと、模試で言うと、判定はAからFまでひととおり、まあ、「確実」から「なにかんがえてますのや、あんさん」までひととおりの判定を一回ずつもらいました。そのまんま、僕自身、「さいころふって、2分の1やな」と思っていました。結局、東大(理1)も早稲田(理工)もすべるのですが、すべっても「あ、裏目ったか」でおしまいでした。

 うーん、「絶対現役」なんて考えたこともなかったしなあ。

 つー訳で浪人です。この時点で、家族で東京に引っ越しました。ありがたいことです。いや、父親の転勤なんかもあって、ちょうどいいタイミングだったんです。別に僕のため、つうことやないです。なんにせよ、千葉は市原市での生活に比べれば、「情報」には事欠きませんし。なにより、「個室」があるのもうれしかったなあ。いままでプライバシーの保たれた居場所、なかったもんで。

 おっと、話がそれた。

 えっと、浪人中は駿台に通うことにしました。代々木でも河合でもないのは深い意味はないです。看板講師の好き嫌いと、イメージの問題ですね。あ、でも代々木の「日日是決戦」というあれは、僕は嫌いです。むきになってやってもしょうがないとおもっちゃうんだなあ。大学で、勉強するのか遊ぶのかにしても、大学はいってからの方がよっぽど大事だと思うし。あくまで比較の問題だけど。

 またそれた。

 で、浪人中はなにをしていたか。本を読んでいた。それにつきてしまう。当時、僕は活字中毒者で、漫画も大好き(これは今も)で、 4月から読んだ本を数えていて、10月頃で1000を数えた時点でカウントをやめました。勉強の方は、というと授業にいて、面白いところだけ本から目を離して聞いていました。あと、家ではときどき模試の解説を読むだけだったと思います。あ、それだけではないか。伊藤和夫氏(もう亡くなってしまったんですよね。時代を築いた人でした。)の「ビジュアル英文解釈」とか、気に入った参考書は読んでましたね。あ、一番のおすすめはZ会の「速読英単語」。とにかくテキストの出来がいい。ただし基礎知識編。応用編は僕には難しすぎた。(えっと、僕の英語のレベルは、センター試験で160点くらい、東大模試で平均点行ったことがない、くらいでした。)

 あ、そういえば、この年からヴィオラのレッスンに行き始めましたな。あ、高校でオーケストラ部にいて、大学でもオーケストラに入るつもりでしたから。

 えっと、結論から言うと、本は一日10時間くらい読んでいました。勉強は1日1時間はしていたと思いますが、2時間はしていないと思います。

 そんなもんです。

 成績で言うと、東大模試はA判定、マーク模試(つまりセンター試験)での東大の判定はB判定で固定でしたね。駿台のなかでのレベルは東大コースで上位20パーセントくらい、かな。

 本に関しては。まず、一般的に「おおーっ」と言われそうな方。橋本治の「窯変源氏物語」から古典にはまって、しまいにゃ原文で読みあさっていました。いやー、古典って、本当に面白いですね、という感覚は浪人していなければ一生もてなかっただろうな。で、古典に関しては、とにかく量を読むことで得点源にしてしまいました。現役の時は失点源だったのに。あ、あたくし、一応理系です。

 つぎ。「ををーっ」という方。古典から「なんて素敵にジャパネスク」にいって少女小説に、それから漫画版の「ジャパネスク」にいって少女漫画に。少女小説は結局深入りしなかったけど、少女漫画は今では、僕にとってすっかり当たり前の存在になってしまいましたね。

 しかし、大学に入ってからパチンコで生活をこわしたことを考えると、この時期にパチンコにはまらなかったのは望外の幸せといえよう(ただし。僕はパチンコでは大幅な黒字だ。生活リズムは壊したが、生活環境は壊していないぞ)。当時、本や漫画で得たものは、ものすごく大きかったと思うので。

 話を受験に戻して。良かった先生、印象的だった先生。参考書の著者としては最高だった英語の伊藤和夫師。授業は眠かったです。「英語の文章」を「文学」として楽しむ読み方を教えてくださった奥井師。有機化学というのはある程度の暗記が必要不可欠なのですが、それを効果的に暗記させてくれた山田師。きちんとした「物理学」を教えてくれた坂間氏。 あとは、代々木ゼミの方で、はじめて「まともな」現代文の講義をしてくれた堀木師。代々木の東大模試の成績が良くて、この人の講義が安価で受けられたのはいい体験でした。

 受験に関して。とりあえず「もう一年浪人する意味はない」と思っていたので早稲田を3学部受ける。理工と教育(数学)と一文。最後の一文、しゃれがきいていていいでしょう。古典にはまったついでにうけてみました。

 理工。は堅い雰囲気。そんだけ。理科1の計算がめんどくさい。おしまい。一文は国語は楽勝。英語は…0点だったかも知れない。ええ、落ちましたとも。あ、ここの小論文は楽しく書けました。「歴史上の人物(例としてナポレオン)が現代に来て、意見を言う」という、まあ、小説がかった小論文です。紫式部使って、女言葉で書きました。手元にないからこそ良き思い出。

 教育学部は明らかに雰囲気が異質でした。なんていうのか、ありていに言えば「記念受験」してる人が異様に多く感じたし、「場の緊張感」も全然ありませんでした。同じ大学でも、違うんですねえ。ちなみに、問題の方も露骨に簡単でした。あ、あくまで比較の問題です。石を投げちゃいけません。駄目ですってば。……ごつん。

(著者重傷のため東大受験に関しては別の項目にゆずる。結果だけいうと合格。)

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