入院体験記・とりあえずアップしてみますバージョン(98.2.20)
誤植、勘違いを訂正して、一部いじりました。(98.03.02)
えっと、胆石で入院しました。世の中には、もっと大変な病気の人もたくさんいるのはよーく知っていますが、それでも僕にとって、入院・手術というのは充分にショックでありました。つーわけで、体験記です。日記形式で。えー、あんまり品の良くない描写も含みます。読んで、気分を悪くするかもしれません。
2月8日
もともとここ数年、「食べ過ぎると背中が痛い」という症状がありました。で、一度こうなると、「食べる度に痛い」というのが2、3回続く、という症状がありました。まあでも、病院に行こう、という考えはあんまりありませんでした。周りから見れば、ただ痛がっているだけですし。で、この日も痛がっていました。後から考えると、ちょっとその痛みも強かったような気がします。
で、21時30分。それはやってきました。「リッジレーサーレボリューション」(今さら)をやっていたが、なんか気分が悪い。やめてベッドに寝てみる。
声を出す気にならないほど。背中が痛いのと、おなかが張って痛いのと、とくにおなかの方がつらかった。「これはまずい」と思いました。ええ。「救急車か」とも。1分だったか5分だったか、ようやく部屋からはいだしました。声をあげるよりは移動する方が楽だったので。で、幸いとなりの部屋に母がいたので、痛いと訴える。その後戻したら、しゃべれる程度には痛みがひきました。つっても、トイレの床で寝てるんですけど。
結局、「声も出ないほど痛い」というほどではなく、「かなり痛い」という程度になったので、とりあえず家の車で某病院の時間外受付に行きました。結論からいうと、この選択は失敗でした。「救急車」で「救急外来」に行かなかったので、まともに応対してくれなかったんです。「胆石かなあ。ま、明日の朝きてください。」と。
あとからなら、「そう思うんならエコー(検査名)やれよ!」とつっこめるんですが。
ま、とにかく帰りました。で、まだ痛いので、もう一つの選択をしました。T大病院のK先生に連絡をしてみました。兄が診てもらっている先生です。話は簡単に「明日検査してみましょう」ということになりました。胃カメラの予約もとってくれました。コネがあると、早いですねえ。あ、そうそう、私はこの時点では、「胃潰瘍かなんか」という先入観の固まりです。ぜんっぜん胃は関係なかったんですけど。
内視鏡(胃カメラの正式名称)にはかなり抵抗がありましたが、いまさらそんなこと言ってられません。
2月9日
朝の3時頃にもきつい痛みがありました。が、これはこらえてしまいました。
で、朝です。この時点では「痛い」だけです。大したことはありません。黙って病院に行きます。でも、ちょっとくらくらします。朝のラッシュの中央線で、満員の中座り込んでしまいました。これはきつかった。ま、それはそれとして、なんとか病院に着きます。
K先生に診てもらいます。おなかを触られてくすぐったがるという、病人らしからぬ行動。そして、過去に、「血液検査で採血中に貧血を起こす」という恥ずかしい過去がある(それも、20歳の時)ほど注射が嫌いな私にとっては楽でない採血、尿検査をしてきます。あ、大学病院では、診察をするところと、検査をするところは別です。採血が終わって、くらっときて、やっぱり終わってから座り込んでしまいました。で、つぎにレントゲン。
戻ってきて、「背中が痛いというならまず胆石を疑う」とのこと。むう。で、エコーです。超音波で体内を見る検査です。これは楽です。寝てるだけです。で、映像を見ると確かに石らしき映像がある。が、「典型的な胆石の映像」とはちょっと違うらしい。まあ、これでほとんど診断はつきました。まあでも、念のため。
そう、本日のメインイベント、内視鏡です。はい。まず。肩に注射をされます。麻酔です。筋肉注射というやつです。注射するのに力がいる注射です。この注射は、終わってからが痛い。ええ。で、のどに、これも麻酔である薬を流し込みます。「飲み込まず、3分間ためてください」。これが結構いやで、さらに、「そのあとごっくんしてください」というのはもっといやだった。
これで準備は完了です。ということは、始まってしまうわけです。
ベッドに寝ます。中空のマウスピースをかみます。「はいりまーす」と、いきなりつっこまれます。黒いコードです。「!!」 目をつぶって歯を食いしばりたくなる。が、「はい、目を開けて」と。どうも、苦しがるほどつらいらしい。うん。はっきり言って、つっこまれてから胃にたどり着くまではかなりいやです。ええ、思い出す今でもいやですとも。
まあ、胃にたどり着いてしまえばそんなにつらくなかったです。本当につらいのは30秒もなかったです。(これは、個人差が激しいそうです。入ってからも吐き気を感じたままの人も多くいますし、奇特な人はこの検査、全くつらくないらしい)
で、まあ、大学病院に来る患者としては、異常にきれいな胃だったそうで、胃には何も問題はありませんでした。ええ。あ、ほんとについでに、「バイオプシー」、細胞検査もやりました。内視鏡の中に先端がはさみか何かになっている管を通して、胃壁の細胞を物理的に採取して検査するものです。「あ、皮がはがれている」という感覚はありましたが、これはべつに不快なものではありませんでした。
で、ふたたびK先生のところへ。もう一度、こんどは上司であるH先生をともなってのエコーです。で、あらためて胆石だということが確認されました。なんか、いっぱいあるそうで。さて、で、どうするか。「手術でとらないといけないけど、まあ、ベッドの空きを待って」ということで落ち着きかけました。
ところが。
血液検査の結果を見てびっくり。肝臓の働きを示す指標である、GOT/GPTが、500/450(大きいほど異常)。普通の人はこの数字、二桁です。電車で立ちくらみを起こすわけです。これはやばい、ということで即入院となりました。むう。
緊急入院ですから、ベッドの空きはありません。で、回復室という、本来は手術後の患者さんが一時的にいる部屋に送られます。「まあ、しゃあないかあ」と、実は「入院そのもの」にはショックはあまりありませんでした。すべて終わった今でもそうです。まあ、暇な時期だったしね。
でも。3月に予定していた友達とのスペイン旅行がつぶれたのはとても残念。友達にも申し訳ないしね。とりあえず、この友達と、バイト先にごめんなさいの電話をしました。
さて。時は過ぎ去り18時。夕食が出ました。今にして思えば、この日の夕食は、ここの病院食としては最高級のメニューでした。「食べられる」んだから。というのは余談。アサリご飯と魚の煮物でした。
さて、今後の予定はとりあえず検査です。つーことで、食事はこれでおしまい。というか、本当はいきなり絶食のはずが、ミスで出てきたらしい。しばらくは点滴とお友達です。注射がいやだ、とわめく私が、点滴が平気なはずがない。というわけで、点滴をされた左腕の緊張が解けず、翌日は見事に筋肉痛です。
あ、そうそう、なんで痛くなったか、の説明です。胆石は、「胆のう」にたまっているのですが、これがはずみで、肝臓と十二指腸をつなぐ「胆管」に転がり込んで、胆管がつまってしまうことで痛くなったそうです。で、同時に肝臓の機能が一時的に激しく落ちる、と。
2月10日
と、いうわけで検査の予定です。DICという楽な検査は絶対やるとして、ERCPというきつい検査をするかはっきりしていなかったのですが、やることになってしまいました。内容は後で説明します。
朝は採血。肝臓の機能が回復しないとDICはできませんから。疝痛発作が終わった時点で肝臓の機能は回復に向かっているはずです。
とりあえず、午前中にレントゲンをとって、呼吸検査をします。これは手術をする人が行う検査。麻酔のためにはこのデータが必要です。「息を吸って、はけるだけはく」という検査と、「息を吸って、一気にはく」という2つの検査をします。この検査でびっくりしたのは、自分の肺活量。高校の時の検査で2900という、平均からとんでもなく下回るデータを出していたのに、検査の人に横ではげまされるまま、本当に限界まではくと、4000という、まあすくなめだが、人並みの数値が出ました。
で、血液検査の結果、肝臓の昨日は無事に回復しているので、今日はDICです。この検査は、点滴によって体内に造影剤(まあ、胃の検査で飲むバリウムに相当するもの。成分は違うけど)を送り込み、それをレントゲンで写す、という検査です。
で、この検査は楽なものなのですが、ちょっと事故が。この検査では、寝台の上で、50センチ平方くらいの大きなカメラがぐるぐる回りながら撮影するのです。で、「上のカメラが動きますけど、びっくりしないでくださいね」と。いや、びっくりしましたとも。このぐるぐるまわるカメラが、点滴台をはじき飛ばしたときには。
結論。やっぱり胆石、いっぱいありますねえ。うんうん。
この日の午後、ベッドが空き、一般病棟にうつります。午後に来てくれた兄と見くらべられ、「似てるぅ」なんていわれるのは、お約束かな。あたしら兄弟、小学校から大学まで同じ学校で、同じ病院の患者にまでなってしまっているもんで。
この日は、今さらのポケモン(緑)をやっていました。まだメダル二つ。
あ、そうだ、尿はトイレでしびんにして、機械に流し込む、ということになりました。こういうのは、もうつらいという感覚はありません。
2月11日
祝日です。基本的に検査はできません。一日暇です。とりあえず検査が終わって、念のため(検査による副作用がないか)様子を見たら、退院して、手術待ち、という予定になりました。大学病院では、「今すぐに手術しないとまずい患者」がごまんといるので、どうしても胆石のような「いつ手術してもいい」患者は後回しになります。ま、これは仕方ありません。
この日は「大地の子」を読んで過ごしました。
2月12日
朝。「研修医なな子」でおなじみ、研修医に採血される。あいた穴4つ。最終的に点滴している腕から採血。点滴の液で薄まって使いものにならない。しかも、だれかに頼まれたわけでもなく、注射器が用意して置いてあったからと、「親切のつもりで」勝手にやったのだという。
さて、手術前では一番いやだったイベント、ERCPです。これはですね。内視鏡をぶち込んだ後、そこから内視鏡の中に細い管をとおして、それを胆管にぶちこみ、造影剤を注入して撮影する、という検査です。まあ、「時間のかかる胃カメラ」だというイメージで、間違ってはいないのですが、予想以上につらかった。
まず。病室から、歩いていく、のではなく寝台に乗せられる。これが恐怖をあおる。
まず。麻酔の時間が長い。のどに麻酔をためるのが、5分間x2セット。ま、「ごっくん」はなし。吐き出す。
カメラを入れる姿勢が、えっと、とにかく「うつぶせ」。正確には、その状態から、首は右を向いて、体を左に向けた(左肩をあげた)姿勢。
偶然か、レーザー光のまぶしいカメラの先端がよく見えて、怖い。
「唾はためないで吐き出してください。気管に入ってしまいます」と注意。
ついにカメラをつっこまれる。前回の学習効果があって、「よけいつらい」。なんて事だ。さらに、つい唾を飲んでしまってむせこみ、さらにつらい。終点が胃より遠いので、時間も長い。うむ。
それでも、やはり一度つっこまれてしまえば、まあそれほどつらくはない。それほど、は。
さて。造影剤を注入、これはべつに何も感じないので、自分の体内の映像をぼーっとみていました。で、そのまま撮影。レントゲンと同様、「はいっ、息止めてー」というやつです。
ちょっとやだったのは内視鏡を抜かれてから。口の中に残る麻酔の薬を吐き出す暇もないまま撮影続行。しかも、終わったとは誰もいってくれないので、「もしかして、もういちどつっこまれるかも」なんていう想像も働いて、こわい。で、実際終わったら、即寝台にうつって、検査室の前の廊下で、病室まで運んでくれる看護婦さん待ち。結局口の中は気持ち悪いまま。
最初は寝台でぜいぜいしながら寝てました。が、何分かたって、一番の欲求は「はやく口をゆすぎたい」となりました。で、寝台の上で座っていました。この検査、帰りが大変だから寝台で来たのに、何のための寝台だか。といっても、スリッパがないので歩いて帰るわけにも行かず、待つしかない。
で、ようやく来た看護婦さん、大変でした。力が余りない人で、寝台を押すのが大変そうでした。壁にがこがこぶつけながら一生懸命押すんです。「うーん。スリッパ持ってきてくれれば運んであげるのに」と思い、実際、「歩けますけど」と言ったけれど、まあ、最後まで運んでくれました。
麻酔は結構長い間口に残りました。この間、つばが飲み込めないのが特に嫌でした。ええ。あ、もういちど説明しておくと、つばを飲み込むと、麻酔が効いている関係で気管に行ってしまうんです。
まあ何にしても、手術前の検査はこれで終わりです。めでたい。退院の予定は、本当は土曜日でいいんだけど、ベッドが遊ばないように(土日は新規入院患者がいない)、日曜日。むう。
2月13日
さて、午前中、点滴が抜けました。非常に快適。両手が使えるってのはいいです。
お昼ご飯が出ました。えーと、やっぱり魚と、白いご飯を食べた気がする。献立、メモから落ちてて思い出せません。ま、とにかく、これがキーとなるイベントでした。
そう、14時ごろから、痛くなったんです。ちょうど、8日に感じた「かなり痛い」くらいに。「座薬はいや」という魂の叫びもあり、黙って耐えていました。で、兄に「座薬が嫌なら注射か点滴で痛み止めをしてもらえ」と言われたりしていて、このあたりの経過は正確に覚えていないけど、通りすがりの看護婦に、母親が「痛がっている」と伝えたんだったか、とにかく最終的にK先生が来て、痛み止めの点滴をしてもらうことになりました。このとき、痛いか、という問いに言ったのが「楽じゃないですね」。なんか強がってるな、俺。
さて、17時頃、痛み止めの点滴。「ペンタジン」。まあ、いってみれば麻薬(厳密には、麻薬性物質)。このとき、点滴の針を刺そうとしたのが、昨日採血をした研修医。穴3つあけてギブアップ。結局他の人が針を刺す。点滴が始まってすぐ、視界がぐらつき始めるが、悪い気分ではない。同時に頭の中でいろいろな想像がはじけ飛ぶ。もうこの時点で痛みは全くない。うーんと、「いろいろなイメージがあらわれる」ということと、「ああ、麻薬のトリップって、こういうものかなあ」という考えが同時に頭に浮かんできた。
でもって、頭があっちの世界に言ったまま寝ました。
2月14日
さて。昨日の発作が、思わぬ展開を生みます。「緊急手術」という選択肢です。そう、退院せずにいきなり緊急で手術をしてしまう、ということですね。これで一気に展開が早くなりました。
で、実際に月曜日に緊急手術をすることが確定しました。本来は、「緊急手術」というのは、文字通りいきなり手術するのですが、こういう形で無理矢理救急部に送りつけて手術をしてしまう、というのもありです。
まあ、展開が早くなったことでどきどきするといえばどきどきします。不安がないといえば、うそになりますねえ。まあ、この日はそんなところで。
2月15日
朝、ちょっとした事件が。3時頃、目が覚めると、ねまきが真っ赤に染まっている。これはかなりどきどきしました。点滴の管のジョイントがずれていたんです。ま、簡単に言うと点滴が逆流して、血が吸い出されてしまったと。ま、量的には大したことがないので、体には問題ないのですが、やっぱりちょっとショックでした。
結局、点滴を抜いてしまって、朝にもう一度針を刺すことに。しばらく、ちょっとした開放感が得られたのも事実です。
さて、手術の準備。まず、毛を剃る。ま、そーゆーことです。自分でやるとはあんまり思っていませんでしたが。一週間ぶりに入った風呂場で、もくもくとあそこの毛を剃るというのは、かなりわびしい気分になりました。ええ。まあ、そーゆーことです。
手術の説明を家族といっしょにH先生から聞きます。まず、症状。胆のうにたくさん胆石がたまっていて、もののはずみで胆管に転がると発作が起きる。原因。これは、分からないそうです。一般的には、胆石は脂っこい食事がたたってできる、白い石なのですが、私の場合は、黒い石だそうで。まあ、めずらしいらしい。
で、手術方法。メスでおなかを切るのではなく、おなかに穴をあけ、そこから内視鏡をつっこんで、それで胆のうを摘出するという手術です。穴は4つあけて、空気(二酸化炭素)を送り込んでおなかを膨らませ、充分な視野を確保して行うそうです。ええ。
で、同時に、胆管に胆石が詰まっていないかを造影して確認し、もし詰まっていたら、その場ではそのままにして、後にあのERCPでとるそうです。そのほうが体の負担が少ないらしい。まあ、一度検査をしているので、胆管に石が詰まっている可能性は低いのですが。
さて、後の準備。おむつと、ふんどしのような下着、T字帯を用意しなければならないのですが、今日は売店が休みなので、明日の朝一番に買うことに。
手術の心得をもらう。「浣腸をする」とか、「鼻から管を入れる」とか、「おしっこの管」とか、嫌なフレーズが並んでいたけれど、いちばんいやなのは、「どれをするのかわからない」ことだった気がする。
夜。下剤を飲みます。まずい。しかもこれが手術前に口にする最後のもの。睡眠薬をもらっていましたが、飲みませんでした。飲まなくても結構眠れたしね。
2月16日
さて、もう当日です。何時になるかは分からないが、午後になるのが普通だそうです。
朝。浣腸、やっぱりするそうです。むう。
その前にお買い物。は、まあいいや。で、浣腸です。結論から言うと、痛くなかった。運が良かったのか、看護婦さんがうまかったのか(普通、変に力まなければ、痛くないそうです)。問題は、終わって、用を足してから。激しい脱力感に襲われました。気分も悪くなり、便器に座ったまま。壁に頭をつけ、しばらくぜいぜいしていました。後から知ったのですが、これは脱水症状だそうです。よくあることだそうで。
で、お笑い。おむつ、間違えて買ってしまいました。本来、下着の下につける、長方形のおむつを買うべきだったのですが、赤ちゃん用のものと同様の、パンツ状のものを買ってきたしまったんです。看護婦さんには笑われましたが、説明も不十分だよなあ。で、買いなおし。間違えたおむつは、病院に寄付です。使い道ないから。
動脈採血をしました。名前は物騒ですが、普通の採血と痛みは変わりませんでした。ただ、足の付け根の、脈をとるところからの採血なので、美しくはない。これは血液のガス圧を計る検査です。麻酔のために必要です。ちなみに、手首の、普通脈を計るときに押さえるところからでも動脈採血はできます。
さて、9時過ぎ。いきなりK先生がやってきて、「10時からになった」と。
うーん、どきどきしながら待つ、不安な時間はほとんど0になりました。めでたいと言えばめでたいですが、まあ、あわてますねえ。心の準備以前のタイミングでした。
で、ばたばたと手術着に着替えて、即寝台へ。
まず。肩に筋肉注射。まあ、終わってからが痛いです。これは。
さて、嫌なイベント。鼻にチューブ。鼻から胃に管をさしこみます。胃カメラより全然細いのですが、まあ、嫌なことにかわりはないですな。のどのあたりが特に不快。
さて、心臓の鼓動はどうしても早くなりつつ、手術室へ。
えーと、マスクをつけられました。これでいきなり麻酔がかかればいいのに、横向きになって、背中を突き出すような格好をしました。で、見えないので何をしているのかは分かりませんが、なにか背中を押されていました。で、「痛かったら言ってください」と。まあ、「麻酔が効いていなかったら痛い」ということなんでしょう。冷静に思うと。で、背中に何かをはめ込まれたような感触を受けました。
これが、今回の体験で、瞬間的な痛さではベスト1です。
「痛い」と叫ぶと、とりあえず痛みはやみました。
さて。実は。このあとは記憶がありません。なんて言うのか、麻酔が効いて眠りにつく瞬間、という感触はありませんでした。電気を消すようにいきなり記憶が落ちたような感じです。
さて。時間にしておそらく14時前。まあ、後から見れば手術後、目覚めて。
第一感は、「痛い」ではありませんでした。「おしっこがしたい」でありました。手術が終わったかどうかも分からず、頭にあったイメージは、「おしっこがしたい」「背中とへそからなにかつっこまれていて、いたい」の、2点でした。よっぽど、「しびんがほしい」といいそうになりましたが、口にしていたらネタにされたかも。
まあ、結論から言うと、尿道には管が入っていて、おしっこはそこから外の袋にそのまま送られるようになっています。まあ、それを認識する前に、体が動いて、あきらかに「おしっこの出る感覚」を感じたときには、ちょっとあせりましたが。
で、意識は混濁したまま運ばれます。もといた病室、らしい。で、ベッドに移されて、「痛い?」と聞かれたから、反射的に「はい」と言ってしばらく、いきなり座薬が投入されました。指が奥までつっこまれている、という感触がありましたが、痛かったか、というとそんなことはないです。まあ、よく分かんないや。ここらへんは。
で、時間ははっきりしないけど、K先生が「どう?」って聞いたような気がする。で、管が気になると言ったら、鼻の管を抜いてくれた。まあ、ない方がいいのはたしか。
で、このころかなあ。両親が、どう? とかきくんだけど、この時間帯、リアクションを求められるのはかなりうっとうしく感じました。あと、足下に鞄を置くのが凄くじゃまでつらいんだけど、声を出すのはもっとつらくてほっとくしかないとか、まあ、かなりいらいらしてましたね。
でもって、18時頃。やっと自分の状況がだいたい把握できました。おしっこの管、背中にとにかく管、おなかに胆汁をだすためのドレーン管が入っていて、口には酸素マスク、と。で、見に来てくれた先生に、おしっこの管が気になると訴えたら、「若いから、大丈夫でしょう」と、はずしてくれました。通常は翌朝まではつけたままです。
はずすとき。「深呼吸してください」と。抜き初めると、これがかなりつらい。おもむろに息が荒くなります。で、「はくときに抜きますから」といわれて、極力はいている時間を長くする。抜けたら一気に楽になるかとおもっていたら、尿道に残った不快感はなかなか根強かった。ええ。
で。背中の管も気になる。これ、本当につらいときに麻薬を入れるための管で、脊髄につながっているらしい。で、いつまで麻薬が効いていたのかは、実は知りません。ま、とにかく、夜の時点では抜いてもらえませんでした。まあ、その時点では効いていたのかなあ。
さて。夜です。実は。この夜は、「おしっこがでなくてつらかった」という日です。まあ、「おしっこの管」なんてものを入れられていたので、まあ、おしっこは出しにくくなっているんです。22時頃からときどきトライしていたのですが、「でそうでつらいのにでない」という、便秘の苦しみの、もっときつめの感覚ですね。点滴で水分はつねに足されているので、この感覚はだんだん強くなります。
あんまりでないようだったら、「導尿」という、まあ、管をつっこんで…というのをやるのですが、24時の時点かな。「導尿はイヤ」
導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ導尿はイヤ
という、あのアニメのフレーズの、かなり品のないパクリが頭をかけ始めました。我ながらしょーもないなあ。
2月17日
で、まだ戦いは続いています。0時30分ごろ、ベッドを起こしてもらいます。あ、そうそう、この手術、アメリカで受けた場合、翌日退院、場合によっては即日退院です。だから、こういうことをいきなりしても全く問題なしです。
で、1時頃。かっきり1滴、でました。ちょっとでも出ればすぐ楽になると思ったのに、裏切られた気分でした。
で、2時頃。かっきり1滴。文章にすると葛藤しませんな。用を足しているときは本当に全力なんだけれど。まあ、ほんっとに真剣にイメージトレーニングしているようなもんです。おしっこのでる。
さて。さっきのフレーズが頭に離れないまま4時。ついに、おしっこが出ました。400cc。ただ、やっぱり快感はうすいです。なんて言うのか、痛いような気がするんだもの。尿道が。
まあでも。開放感はありました。ええ。そーいう意味ではうれしかったです。ホントに。
で、ベッドを倒してもらって、寝ました。
さて。6時過ぎ。立ち上がってみます。脇腹のあたりが痛いけど、うまく体重をかけないようにすればなんとかなりました。ついにトイレに行ける! で、行きました。立って用を足すのはやはり感動的です。600cc近く出たのはちょっとびっくり。でも、やっぱりなんか尿道のあたりに違和感を感じます。
で、10時くらいまで1時間おきに用を足しに行きます。これはリハビリにはなるが、ちょっときつかった。
さて。昨日の夜から、背中の管も気になっていた。背中をベッドにつけると、なんか気持ち悪い。のどから管が飛び出すような感じで。これもかなりイヤでしたね。で、これは10時頃に抜いてもらえました。その時点では、麻酔はかかっていなかったしね。ただ、抜かれてすぐ楽になるかと思っていたら、やっぱりまだ気持ち悪かった。で、横向きに寝た状態がつづきます。
11時頃。なんかげっぷが止まりません。気持ち悪いです。で、K先生に言うと、「胃の管を早く抜いてしまったのもあって、胃にガスなどがたまっている」と。で、「吐いてしまえば楽になる」というから努力してみるが、おなかに響いて力めないので挫折。すると、点滴を通して薬を注射してくれた。すると、いきなり楽になるんだから不思議。
さて。12時。もう食事が始まります。つっても、点滴をしているのもあって、おなかはすいていません。しかも、前回発作を起こしたのもあって、ちょっとつついておしまい。あ、でも、溶けだしているアイスクリームは美味しかった。
さて。お昼過ぎ。レントゲンを取りに行きます。エレベーターに乗って歩いて、結構遠出です。まあでも、もう歩けてしまうんですから、ありがたいことで。
午後です。S先生におなかを見てもらいます。ちょっとおびえてしまいます。傷に響くことをされそうで。それはなかったのですが。とつぜん、ずるずるずるっと、脇腹からなにか引きずり出される感覚。全身に悪寒が走りました。胆管ドレーンをぬいたんですが、予告があった方がショックが少なかったんじゃないかなあ。
とにかく、これで管はなくなりました。もう、この時点で、点滴は管のうちに入りません。不快とも思いませんし。
夜。ご飯はおいしくないし、まあもともと食欲も薄いので、ちょっとつついてさようなら。
背中の管の入っていたところはまだ変な感じだったので、ちょっと下にタオルを当て、その部分をベッドから浮かせて寝ました。
2月18日
さて。目覚めて、昨日より露骨に楽になっているのが分かります。ベッドから起きあがるまでの時間が違う。「脇腹に負担をかけないようにじっくり時間をかけておきあがる」んですが、その気の使い方がね。
9時頃。点滴が抜けます。本当に自由になりました。この日になると、いままで意識に登らなかった、筋肉注射をした左肩の痛みが気になるようになったりして、回復を実感します。
廊下を歩くのは、杖になる点滴台がないため、昨日よりゆっくり目になったりもしましたが。まあ、そろそろ歩いていました。
さて、昼御飯。いままでお粥でしたが、いわゆる常食です。きたのは「みそラーメン、だったもの」でした。詳細はご想像にお任せします。
あ、明日退院が確定しました。経営上の理由で、明日か4日後の日曜日が退院日になるので、この差は大きい。この文章を書いている今日(20日)も、まだ病院にいたのかも知れないんだから。
夜。寝付けない。病院で嫌だったことばかり思い出す。健康になると、病棟の不健康さ、というものに嫌な感じを受けるのかな? まあ、理屈付けはいいや。とにかく、この日に睡眠薬はほしかった気がする。
2月19日
朝御飯を見て笑う。そのまま返却して、売店でカレーパンを買ってしまう。
さっさと着替えて母親を待つ。
この日になると、自分の体臭が気になりだした。こういうのも、回復を実感します。
で、まあ、帰るだけですね。
帰りました。
めでたし、めでたし。
余談。
2月20日
自転車に乗って外に行ってみる。ただし、ズボンのボタンはまだとめられないのでコートで隠して。
2月22日
中村橋田中屋で祝杯。芳吟醸(銘柄忘れた)はとても美味しかった。吟醸香がすばらしかった。久しぶりのお酒でした。
2月24日
T大病院へ。といっても、ほとんど診断書を書いてもらいに行ったようなもの。あとは3月に行っておしまいです。で、この診断書を共済に提出。保険はありがたいですね。今回のケースで8万円おりました。
この日のメインイベント。「シャワーを浴びてよい!」という許可が出ました。非常に気持ちよかった。
2月26日
浴槽に入りました。
3月1日
結婚式に出席。一日外出していたのはほとんど一月ぶり。ベルトをしたのもかなり久しぶり。たくさんお酒を飲んだのも。
3月2日
ついに傷口に貼ってあったテープを全てはがす。