第50回「正月のちか゛い」(00.01.01)

 ほとんどの文化で、年の次の時間の単位は、「月」を基準にしている。一番、観察による定量化が簡単だからだ。だから、暦のカウントに「月」や「month」という言葉を使う。

 一方、「年」という単位を実感する方法は、文化によって大分違う。ナイル側沿岸では「洪水」が「年」を実感させてくれるイベントだったし、「雨期」「寒気」、ないし「四季」という規準もある。

 だから、「星」という規準が作られる前に、アバウトに「年」という概念は定義されたのである。

 さて、「年」という概念だが、これについては「いつ」を基準とするかがなかなか難しい。「日」や「月」であれば、南中時、満月(新月)といったわかりやすい基準が作れるのだが、「年」はどうも難しい。あえてそういう基準を探しに行くとすれば、「冬至」や「夏至」ということになろうか。

 が、いずれにしてもこうやってつかんだ「年」と、「月」はどうやらかみ合わないらしい、ということに気づくわけだ。一年は「だいたい12ヶ月」なのだが、「ぴったり」12ヶ月にはなってくれないのだ。ここで、知らん顔して「月」を規準にした「月」を使い続けるか、「年」に迎合した「月」を使い続けるか、という選択が生まれる。

 さて。日本の場合はどうだったか。幸いなことに、江戸時代まではそういう葛藤が生まれなかった。なんとなく「月」の「月」と「四季」の「年」を使い分けていたのである。が。明治時代となって、なし崩し的に「年」の「月」が使うように米国から要請されてしまったのである。

 明治政府は、「新暦」を広めようとするために、新暦のことを「正しい月」、すなわち正月として普及を行おうとした。そして、正月の基準となる新暦一月一日には、「正月祭」として、民に餅を振る舞ったのである。この時代、米の食べ物は非常にありがたいごちそうであった。雑穀より腹持ちがよく、体も温まる。かみしめてものを食う、ということが、それだけで嬉しい時代であった。

 新暦が一般化するにつれて、「正月」という表現もなりを潜め、正月、という言葉だけで「正月祭」をさすようになっていったわけである。

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