第36回 しゅんしゅん。 (99.02.27)

 必要は発明の母という死んだ言葉があり、発明は需要の父という使い尽くされた言葉がある。まあ、発明が先、という方が多いであろう。「テレビ」「ラジオ」「パソコン」「ソフトウェア」「インターネット」まあ、例をあげていけばきりがないが、まあほとんどの人にとってこれらは発明が先であったであろう。

 コンピュータだって同じだ。「パソコン」というのもカルチャーショックなら、「市販ソフト」もカルチャーショックだった。さらに「パソコン通信」も寝耳に水だったし、「インターネット」「電子メール」は爆弾だった。「GUI」なんてのもあったな。MACINTOSHはリアルタイムにさわったわけではないけれど。

 と、まあ、そんなわけで加湿器を買った。うちや学校にはストーブにやかんをのせる、という習慣がなかったので、「加湿」という概念は最近までなかった。だから、私にとってはこれも昔誰かが考えてくれた「発明」である。しかしそれだけをする機械をつくってしまう、というのはなんかとんでもなく贅沢な気がする。なにしろ使っているありがたみがいまひとつはっきりしないのだ。が、効果があると思う。いや思いたい。すくなくとも、朝起きたときにのどががらがらになる頻度は下がったと思う。

 しかしこの発明という奴、はずすとおもしろい。

「アメリカンクラッカー」という瞬間で消えた騒音楽器とか、
「美顔器」という50〜60年代生まれの方にトラウマを残した機械とか。

製品という枠をはずせば、

「ぶら下がり健康器」というネーミングの発明。
「ミニスカート」という価値観の発明は長期化しそうだが、
「ルーズソックス」という価値観は苦い記憶をつくりそうだ。
「なめ猫」という偉大すぎる発明をおぼえているでしょうか。
「コスモ星丸」人形がまだ家にあるとか(筑波万博のイメージキャラクター)
「スノーレッツ」もトラウマ候補。
「省エネスーツ」はネーミングもデザインも完璧だったが、リアルタイムで知らないな。
「笑い袋」というのは関わりたくない発明だし、
「ねこにゃん棒」は個人的大ヒット。

 やっぱりあれだな、「泥酔した頭で考えた思いつき」がそのまま世の中に出てしまうとすごいことになるね。いろんな意味で。そういうことができる勇気に乾杯。

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