WFPを振り返る:88

WFP88号から。

受先を解く時、とりあえず攻先で考えるというのは普通だ。そして考えると、5手で詰んでしまう。しかし持駒制限もあり受先の完全な手待ちとなる初手がない。結論は4手かけて初形に戻す。結局5手+同じ5手で詰む、という面白い構成。以前「果報は寝て待て」で「攻先のほうが早く詰む」図の募集があったが、これはその条件を満たしつつ、「結局攻先と同じ手順に合流する」というもの。面白い作図技術。

と思って安心すると、同じことを伝統ルールでやってのけてくれる! それも39手かけて! 唖然。

内容も面白いんですが、この似た構図で別展開。どちらも見事なものです。

どうでもいい余談なんですが、普通新規ルールを普及させるのは提唱者による面白い作品としたものです。アンチキルケはその例外で、提唱者はその面白さをあんまり理解していないのに面白がって作図してくれた方々がいて普及した、というちょっと変な歴史を辿っています。ルールのポテンシャルの高さと提唱者(私だ)のアレさが噛み合って置きたかわった妙な出来事ということでひとつ。

新規ルールでもうひとつ問題になるのが回答者。決して難しくないこの問題に回答者が1名だとなかなか普及も難しい。あとは手を制限する系統のルールに共通する問題として、短手数で「ほほーと言わせるのが難しい」という面があると思う。性能変化やキルケ系などは短手数でその効果がばっちり分かる面がある。

特殊な移動や効き以外でインパクトを与えようと思うと「王手がかかっているようでかかっていない」状況だろうか。これが受方の応手でできるからマドラシやIsardamは強い。kokoは受方の応手ではそれができないのだ。言ってしまえば受方の手が弱くなりがち、となる。「後で取れないようにするための限定移動」とかうまいこと演出できればあるいは、とも思う。この辺は作る側の見せ方として考えてもいいかもしれない。

24玉がn角の打ち場所限定にも一役買っているのがお茶目で割と好き。いい作品だと思います。今なら解く人はいそうだ。

濃厚な論考。読んでいただいたほうが早いがひとつだけ。3段目のと金ベルトが玉の運搬機構なだけでなく、質駒として利用するという発想が秀逸。その発想が50年近く前にあったのだから恐るべきお話です。

上谷直希氏の記事より修正図。作者の葛藤も見られて楽しい記事。

22飛ではすぐに詰まず、23飛だったら簡単に詰む、という構図は原図の41角と32角の対比と同じ。序奏が2手から8手に伸びたのはどうなのかしら。伝統ルールの伝統的価値観ではあるべきであったほうがポイント高いのだろうけれど、無条件で肯定するものでもないとは思う。個人的にはあることで評価が跳ね上がることはあんまりない。ただ、舞台装置の設置から始まるのは嬉しい。